平成十五年三月二十六日、最愛の父が逝った。
最期まで優しく、強く、格好の良い父であった。
 須らく準備の良かった父が、自分の墓の用意はしていなかった。葬儀の後、家族から
父の墓のことを任された。父の墓を建てることなど想像なりしていなかったので、かなり
戸惑ったが、父への感謝と尊敬を精一杯形にしようと考えた。
 鳥海家の菩提寺である木更津、金蔵寺の飯塚住職より、「お父さんは、生前、御自分の
墓を御先祖、御両親の眠る前芝の墓地に向けて建てる様に、とおっしゃっていました。」と、
教えて頂いた。また、私自身が、生前の父から、「金蔵寺には横並びに三区画の墓地がある。
俺の墓は当然真中で、俺と母さん(私の母・正子)しか入れん。墓石にも、鳥海家ではな
く『鳥海和男・正子』と刻め。お前と貴也(私の兄)は、その両脇で、未来永劫、俺と母
さんを守れ。」と聞かされていた。思い返して、改めて、なんとも父らしいと感じさせられ
る。
 これまで、父からの数々の無理難題に育ててもらったような感じがする。今となって
は懐かしく、そして有難く思い出すが、最期にまた、難題を残して逝ってしまった。三つ
の墓石を並べ、真ん中の父と母の墓石は四十五度以上右向きに建てなければならない。正
方形に区画された基地の中に、ただ斜めを向いた墓石を建てたら、「大馬鹿野郎!」と怒鳴
って生き返ってくれそうな気もするが、ここは安らかに眠ってもらえるものを造ろうと考
えた。
 色々な方にご相談して、書家であり、彫刻家であり、庭も手がける芸術家の長崎剛志
氏と知り合った。長崎氏の代表的な作品群に、円形のブロンズやガラスなどに竹を模った
ものを横切らせたり、尖らせてある向きを指させたする「方位」というものがあった。
 作品の写真を拝見し、人の求めるもの、信じるもの、生き方に通じる方向性を直感せずに
いられなかつた。長崎氏とお会いし、父の残した「向き」と私の父への想いを伝え、氏の
「方位」と重なるものがあるかお尋ねした。「方位」は、氏の宗教体験をも生かされたもの
と知り、大いに相通じるものと答えちれた。私の心は決まった。これまで墓を手がけられ
たことのない長崎氏であったが、お受け下った。
 長崎氏を芸術家と知りつつ、打ち合わせの度に、調子に乗って自分の都合と希望ばか
りを重ねていつた。「方位」を骨室の蓋として使いたい、「方位」という作品を人が踏むこ
とを了承して欲しい、と。また、父の「方位」を、父が愛し、のぽり、そこで親友と語り
合った井尻の柿の木を使って模って欲しいとお願いした。さらに、父の信条であり、私も
救われた父の言葉、『至誠通天』をこめた作品であつて欲しいことを求めた。氏はその全て
に私の予想を超えて応え、形にして下さった。
 一つの自然石をブロンズで模り、三つの立体を創り出した。その三つは元々一つの自
然石であり、家族の結束を表す。父のプロンズは、両親(祖父母)、先祖の眠る前芝の墓地
を向き、堂々と立つ。三つの立体は鋳石と呼び、それぞれ「至鋳石」、「誠鋳石」、「通天石」
と名付けられ名を刻まれた。父の墓鋳石である通天石には、言いつけ通り鳥海和男・正子
と刻んだ。その文字は、父が無二の親友である杉本先生へ宛てた手紙の差出人の文字を使
わせて頂いた。
 父の両親(祖父母)、先祖への思い、妻正子への愛、故郷井尻への誇り、親友への感謝、
我々家族の結束、信条である至誠適天を形に出来たと思う。

        

             父さん、どうですか?
                    

                                    鳥海正明

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