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鋳物の魅力
紀元前4000年頃、鋳物が生まれたと言われている。 今だその魅力衰えることなく、多くの人々を魅了する。
金属のもつ独特の風合い、艶、重みなども美しさの一つではあるが、あのような硬く、 冷たく、重い塊を高温で溶解し、作者の意図するフォルムの母体とも言える鋳型に一気
に流し込み、冷却後、母体から出生する際に授かったエネルギーを見る者に与える力は それ以上に衝撃を受けるであろう。
彫刻を表現する上において、素材の選択は非常に重要な位置を占めている。 石や木などは人が手を加えなくとも既に個々、千差万別の顔を有し豊かな表情、愛嬌
までも持つ者もある。 その姿、形から多くのエネルギーを与えられる人は決して少なくはないと思う。
しかしながら、青銅(ブロンズ)をはじめ金属は精製以前の鉱物からはどこか強い エネルギーを感じることはあるが、残念ながら鋳塊(インゴット)となってからは無表情と言うべきか、およそ自然界のエネルギーを授かり生まれた物とは考えられぬ異質な物に
生まれ変わってしまう。 鋳造とはそれらを蘇生させるべく必要不可欠な技術であると私は考える。
前述したとおり、鋳物とは作者の意図するフォルムを一度鋳型(母体)に置き換え大きさにも異なるが、僅か5o足らずの人が決して覗くことの出来ぬ未知なる空を満する事で成り立つ。
溶解された金属は鏡面のような艶やかな表面を見る限り静を思わせるが、いざ母体に 流れ込む瞬間は静とは一転し、力強い動なる力を表に出す。 その際、母体の力、もしくは溶解された金属の力の何れが強すぎるとも、世に生を授かることは無い。
金属も母体である鋳型の中を占領するのではなく、共有する事でそのエネルギーを保持し、母体も空を満される事で蘇生する。母と子、大地と種、森羅万象いかなる物も共有してこそ力を保ち、また活かすことが出来る。
彫刻の大切な要素、静・動なる動き、空・満を有する空間、生と死の間にある命、これらの多大なるエネルギーを体内に共有し続ける事のできる力こそが鋳物の最大の魅力であると私は思う。
鋳物師 阪井 泰彦
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2003/2004-08
Process for Tomb garden |
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